教育格差

こないだ生徒さんと雑談してたら,「物理の先生は高校物理で微積分は必要ないと考えているようだ」という話をされた.こういう先生に学ばなくてはならない生徒は気の毒としか言いようがない.既に使えるはずの道具を使わない選択をする理由もわからないし,科目間の壁を維持しなくてはならないと考える理由もわからないし,全てが謎だ.掛け算の順序が違うという理由で不正解にするような阿呆な小学校教師よりはマシかもしれないが,それでも,自分が教えている教科内容を理解してないとしか思えない所業であり,生徒たちに対して明確に不利益をもたらす可能性があると言える.

筑駒や灘ではベクトル解析も教えているということらしいので(どのレベルで教えているのかは知らんが),数学II程度の微積分すら使わないような地方の公立高校ではまともなレベルの大学に進学するのがなかなか難しいというのがわかる.

ちょっと前に,九州の高校で慣習的に行われてきた朝学習なるものをやめよう,的な報道があった.都会に負けるなって感じで続けてきたのだろうか.このような慣習は九州に特有のものであるような書き方がなされていたが,岩手でも高校生に対する時間的拘束はつい最近までかなりひどいものがあった.これらの慣習の根底にある考え方は「時間をかけてたくさん難しい問題をやることで,都会者に勝つのである」ということであろう.残念ながらこれはきちんと学んだことのない人々の発想である.昨今流行の「英語が喋れるようになりたい」系の主張をなさるエライ人々と同じだ.都会に勝つ,というのがどういう意味でのことなのかはよくわからんが,人口比で同じくらいの子供たちをそれなりの大学に,ということであれば,それは基本をきちんとしつこく叩き込む以外の方法はない.都会の進学校の子供たちがめっちゃたくさん問題を解いているのは,その前にきちんとした基本を教えられているというのが前提になっている.訳がわからん状態でやたらめったらたくさんの問題に取り組んでも百害あって一利なしだ.塾長が教えていた私立高校でも,学ぶということがなんなのか知らん連中が学校を牛耳っていて,やたら長い時間学校に縛り付けていっぱい問題解かせてた.こういうのがダメなんだよね.

他の分野においては,専門的に何かをやってきた人々が権限を持って運営をしているのに,なぜか教育は何もなしていない人々(そして往々にして勉強ができない人々)がテキトーな思いつきで何かをしようとする.日本人のほぼ100%が高校くらいまで行っているけど,だからと言って素人が教育に関して何かを変える権限を持つのはおかしいでしょ.我々の年代の野郎どもほぼ100%が野球をテレビで見たことあるし自分でもやったことあるだろうけど,だからと言って居酒屋で酔っ払って管巻いてるオヤジが阪神の監督になるとかあり得んだろう.それと同じことが教育に関しては行われてきたし,現在でも起きつつあるわけだ.頭おかしい連中ばっかりだわ.

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