実力も運のうち
M.サンデル「実力も運のうち」読了
本書において著者は、ここ数十年で米国や世界に広まりつつある(というか、すでに広まってしまって根を下ろした)能力主義、功績主義について、政治哲学の立場から批判的論評を加えている。
塾長は以前から、アメリカの貧乏人がなぜ自分たちのことをどうでもいいと思っている共和党に投票するのか疑問に思っていた。サンデルによるとその理由は以下のようになる。
アメリカでは大卒者とそうでないものの間の格差がここ数十年で大きく開いてしまって、いわゆるアメリカンドリームを成し遂げることがほぼ不可能な社会になった。この状況を打破するための民主党のスローガンは「誰でも、能力に応じて出世できる社会を作る」的なものだった。しかしこのようなスローガンだと、大卒でないものは能力がないということになってしまって、アメリカ社会の大部分は自らの無能に絶望してしまう。そこに共和党がつけこんでトランプが勝ったと。アメリカの場合大卒者は1/3程度らしいので、貧乏人を味方につけることができなかった時点で民主党は負けが決まっていたわけだ。
サンデルは現代アメリカの能力主義社会の病巣の一つに、極端な学歴偏重主義があると見ている。このあたりのお話を読んでると、日本の学歴主義がかわいいものに見えてくる。SAT(アメリカの大学入試に用いられる標準テスト)の点数を上げるために、時給1000ドルで個人指導を受けるとか、志望理由書みたいなものを書くためにさまざまな習い事をしたり海外研修に行ったりとか、これ最近の日本で流行っているやつじゃないの。時給1000ドルとかうらやましすぎる。そんだけぼったくれるなら、塾長は今ごろ大金持ちだよ。サンデルの本が正しいなら、米国の大学は入学が簡単だ、というのは数十年前の情報ということになる。合格者が出願者の数パーセントであるような試験を簡単というのは、どう考えてもおかしい。
一流大学卒業生が、自分たちの社会的経済的地位を自らの努力の結果である、と考えるのは自然である。しかし、実際は遺伝子や環境の影響がほとんどすべてであるというのが最新の科学的知見であるらしい。となると、たまたま遺伝子ギャンブルや環境ギャンブルに勝った人間が、その他大勢を見下すという構図が理にかなったものなのか、という疑問は当然湧いてくる。実際問題、一次産業従事者が大規模な反乱を起こしたら、その時点でエリートの生活はすべてダメになるわけだ。経済的優位がものを言うのは、金で衣食住が賄えるような安定した社会だけだ。完全な平等は不可能にしても、多くの人があまり大きな不満をため込まない程度の平等は必要なのかもしれない。


