学力喪失
今井むつみ「学力喪失」読了
認知心理学者による,学力不振の子供達の分析と取り組みが紹介されている.このタイトルは明らかに内容とは関係なく(喪失,というのはもともとあったものがなくなることだ.子供達の学力が元々あったことなど有史以来一度もない),むしろサブタイトルにある「認知科学による回復への道筋」の方が内容をよく表している.週刊誌とかネットではこういった感じの煽るタイトルをよく見かけるが,岩波のようなお堅い出版社が同じようなことをするのはどうかと思う.
本書の前半は,著者らが開発した「たつじんテスト」なる小中学生向けのテストを小中学生に受けさせた結果の分析が並べられている.分数概念や数直線の概念が全く理解できていない子供達の解答例が多数載せられている.後半は,これらの誤答例の原因が,記号接地がうまくできていないからであるという前提に立ち,記号接地を促進させる著者らの取り組みを紹介している.この記号接地という概念が塾長にはピンとこないのであるが,どうやら五感から得られる具体的な実感のようなものと言葉や数のような抽象概念が繋がっている状態を意味しているらしい.本書では「AIはいちごの意味を辞典に書いてある言葉で説明することはできるが,香りや味や口の中での触感は経験できないからわからない.だからAIは記号接地していない(動詞の使い方がこれで良いのか塾長には自信がない)」というような曖昧な書き方がなされている.クオリアのようなものだろうか.はじめに,のところで著者も書いているが,本書はつまづいてしまった子供達や,そういう子供たちがいる親や教師のためのマニュアルではなく,子供たちの学力不振の原因を分析し,それをどうにかしようとする試みの紹介にすぎない.内容は相当薄く,読んだ方がいいよとは言えない.時間の無駄.
本書には,小中学生にやらせたテストの例と子供たちの解答例が多数載っている.それらを元に著者らは「子供たちはある概念が理解できていない,記号接地していない」と結論づけている.もちろん,それもあるのだろうが,たつじんテストの問題自体の中には学校でやるテストとは随分毛色の違うものがあり,そういう問題の場合は何を答えて良いのか,どのような解答手段まで許されるのか,子供たちが混乱したのではないかと思えるものもある.補助線を引いていいのか,定規を使っていいのか,テストのルールがわかっていない子供もいたのではないか.また,答えだけでなく途中計算を書かせる問題でも「子供が14人一列にならんでいてAさんの前に7人いるとき,後ろには何人いますか」のような問題で,式を書く欄があるのでは混乱する子供もいただろう.頭の中で人を並べたり,図を描いてしまえば式を書く必要がない.テストがどういうものかという固定概念が,小さい子供の中にがっちり存在する可能性もある.そのあたりの配慮をしているのか,いまいちよくわからないというか,信用できない.
後半は記号接地という(塾長にはよくわからない)概念を前提とする議論とその取り組みが紹介されている.机上の空論を子供達に押し付けているだけのように見える.
多くの小学生が分数概念などをきちんと理解していないというのは多分その通りだと思う.自分の小学生時代を思い出しても,ちゃんと理解していたとは思えない.分数だけじゃなくて,自然数の四則演算についても,筆算のアルゴリズムを覚えてただただ計算していただけで,なんでそれでうまくいくのかが分かったのは高校生になる頃だった.あれは〜進法で数を表現するというのがどういうことなのかがある程度わからんと理解できないと思う.分数については整数よりも複雑なものなので,記号接地などという高級そうなものを目指すよりも,正しいアルゴリズムを身につけさせるためにガンガンドリル計算させる方がいいような気がする.昭和根性論と笑われそうだけど.理解なんかしなくてもまずはアルゴリズムに則ってちゃんと計算できるようになろうよ.そんなことよりも,分数や割り算の概念は大人でも理解できてない人々が少なくないということの方が問題なんじゃないか.