読書

生徒さんたちに「本を読みましょう」と常々申し上げているが,実践している子はほとんどいない.というか,高校生になる頃には読書習慣はほぼ固定してしまっており,それを変えることはできないのかもしれない.かくいう塾長もそんなに本を読む子供ではなかったので,「本を読みましょう」というのは自分のできなかったことを他人にやらせようという無責任な発言ではある.

ただ,実際に本を読むかどうかはともかく,ある程度の長さの文章や本を読めと言われれば,いつでも大きな困難なく読める,ということは大学に行くつもりなら絶対に必要な能力で,少なくとも「読めと言われても読めない」という状態は大学進学を希望するなら絶対にあり得ないことだという認識は持っておいたほうが良い.

多くの生徒さんたちにとって目の前にある問題であろう大学入試に限ってみても,正確にはやく読む能力は必須である.最近は特に理科の問題文の長文化が著しく,旧帝大の理科の問題文は図を含めて軒並み30ページから40ページくらいになる.問題文をもたもた読んでいたら,計算を始める前に試験が終わってしまう.

また,最近は動画などで学習をすることもできるが,同じ内容に同じ時間をかけるのであれば,教科書を読むほうがはるかにスピードがはやくて全体像も掴みやすい.もちろん,講義による学習には脳味噌回転スピードを説明に合わせることができるという,素晴らしい効能もあるので,教科書だけでいいというわけではない.なら早送りにしたらええやんという人もいるかもしれんけど,動画早回しで大丈夫なのは,その分野の専門家か,ごく一部の頭の回転の速い人だけ.もう一つ,読むほうがスピードが速いというのは,本の朗読サービスなんかを使うとよくわかる.黙読の際のスピードと,オーディブルなどの朗読サービスのスピードを比較すると,黙読のスピードはオーディブルだと4倍速から5倍速くらいに相当する(4倍速以上はなかったような気がするから,あくまでも主観).しかし,オーディブルだと,日本語でも2,5倍速くらいから頭に入らなくなるし,英語だと2倍速でもかなり集中しないとついてゆけない.黙読に慣れていれば,こちらの方が圧倒的に情報処理スピードが速い.

あと,直接的には関係ないかもしれないが,英語の能力も(日本語における)読書能力に大きく影響を受ける.要するに,母国語である日本語以上に英語ができるようになるわけがない,ということである.日本語を読むのが遅いのに,英語の読解が速いなどということはあり得ない.日本語で速く正確に(正確さのほうが優先度は高い)読めるということが,外国語の上達にも絶対必要なのである.

一番の矛盾は,「本を読みなはれ」と言いながら,学校の宿題が多すぎるということ.高校生に宿題を出すのはやめなはれ.子どもの遊びと勉強の邪魔をしてはあかん.

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