教科書検定
ドジャース大谷選手の通訳氏が、ギャンブル狂で盗みをはたらいたというニュースが出ている。この通訳氏は、メジャーで大活躍している大谷選手を陰から支える人々、みたいな企画で中学か高校の英語教科書で紹介されているらしい。今回の事件を受けて、彼の記述を教科書から削除する、みたいな話も出ているそうだ。
今後、この事件がどのような(表向きの)決着を見るのかははっきりしない。しかし、どのような決着を見るにしても、「大活躍している人を支える、目に見えない人々」みたいな軽薄なストーリーより、今回の事件全体の話の方がずっと道徳的というか、教育的であると塾長は思う。
例えば、ギャンブルに直接関わっていたのが通訳氏だけで、大谷選手はATMとして利用されていただけだった場合を考えてみる。この場合、通訳氏が大谷選手を単なるATMとしてしか見ていなかったとしても、通訳として大谷選手と仕事をともにしている間に、大谷選手が素晴らしい成績を残し、明らかに大谷選手に良い影響を与えているという事実は消えることがない。にもかかわらず、裏では大谷選手を利用しているだけだった、みたいな結末は、人生における苦々しい真実を明らかにする一つの例として、子供たちに重要な教訓を与えるのではないだろうか。
あるいは、実は大谷選手自身がギャンブル狂であり、通訳氏は単なるスケープゴートであった場合を考えてみる。この場合、爽やかな好青年が実は心に深い闇を抱えていて、ギャンブルをすることでしかフラストレーションを発散することができず、側で支えている通訳氏が、とうとう隠しきれなくなった大谷選手のギャンブル癖を全て被って追放される、みたいな、これまた苦々しい話が社会と人生のままならなさを示唆していて、教育的である。
したがって、教科書会社や文科省が考えるような健全な、北朝鮮の教科書的ストーリーだけでなく、もう少し現実世界の面白さを伝えるような教科書を望みたいというのが、塾長の希望である。
まあその、一言で言えば、野次馬的にこの話は大変興味深いので、是非とも文春とかがきっちりと深掘りした記事を書いてくれることを期待している。