長文読解

定期的にこの話題が生徒さんとの雑談で出てくる.英語や国語の長文問題の問題文は,全部読むのか,それとも必要なところだけピックアップして読むのか.

考え方はいろいろだと思う.塾長は制限時間が厳しいor問題文がやたら長い試験については,制限時間の半分くらいで全ての解答を解答用紙に書き終えているくらいじゃないと安心できないタイプで,しかも時間ギリギリの状態だと頭の回転速度が落ちるのを何度か経験しているため,英語や国語の試験で問題文を最初に全部読むということはしたことがほとんどない(内容が面白すぎる場合は飛ばし読みがもったいなくて最初から全部読むこともある).センター試験や英検1級やTOEICの長文はあんま真面目に読まなかったし,そもそもTOEICは一通り解答をした後で見直しが半分くらいしかできないくらい分量が多かったので,見直しの際に全部読み直すことすらできなかった.もちろん,時間ギリギリでアドレナリンが出まくっている方が頭の回転が良くなるような肉食系の人々もいるだろうから,そのような人々はギリギリ感覚を楽しめばいいのではなかろうか.

ただ,まともな文章というものはある程度の冗長性があり,全部を丁寧に読まないと解けないような文章が試験に出ることはない.だから,ある程度以上のレベルに達した受験生は,最初に解答を作る段階で文章全部を読む必要はないのではないかと思う.見直しの際に自分の解答を確実にするため,残りの部分も読めばいいのではないか.

あと,生徒さんたちに時々言っているのであるが,論説文については背景知識が多ければ多いほど読解の精度とスピードは上がる.どういうことかと言うと,背景知識のあるテーマの場合,その文章が自分の知識と比較して同じなのか異なるのか,自分の意見と同じなのか異なるのか,というところだけに着目して読めばよく,新たな知識を入れる必要がほとんどなくなるということ.例えて言うと,全く背景知識のないテーマについての文章を読むのは,柵の内部にいる羊の顔を全部覚えるようなもので,背景知識のあるテーマについての文章を読むのは,柵の周りにいる羊の顔だけチェックするようなものだ.よくわからんか.要するに,知ってるテーマであれば,問題文から取り込むべき情報量がずっと減らせるってこと.

先生によっては,一部だけ読むのは良くないと指導する人もいるだろう.理由はおそらく二つあって,それは上に書いた理由から国語や英語の先生方は背景知識が多いため読解精度と速度が一般的な受験生よりもずっと優れているからというのと,そして,飛ばし読みをするにはある程度の技術と経験が必要で,それを生徒さんたちに勧めたことによって,経験不足な生徒さんたちが失敗することを恐れているから,ということであろう.

どのような取り組み方を選択するのかは,生徒さんたちが各自決めなくてはならない.飛ばし読みの練習をするのか,全部丁寧に読んで情報を頭に引っ掛けてゆくのか,普段から様々な文章を読むことで背景知識を増やしてゆくのか(多分これが王道.ただ,結果がすぐに出ることはないだろうから不安でしょうな.読むことが好きな人じゃないと無理かも),いずれにしても,自分がどのような方向性をもって取り組んでいるのかということについては自覚的である必要がある.

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