選挙

昨日,生協に買い物に行ったら,目の前の公民館に選挙ポスター用の板が置かれていた.枠の数がめっちゃ多かったので,おそらく市議会議員選か県議会議員選が近いのであろう.またバカバカしい選挙運動が始まるわけだ.世の中をマシにする(良し悪しのような単細胞的価値基準ですら最低限の合意ができていないので,このような文言自体全くの無意味である)には,非常に複雑な社会と人間を理解した上で,なんとか妥協点を探ってゆく必要があるわけで,まともな知性を持っている人間であればその道のりの長さと複雑さに絶望するしかない.したがって,塾長が常々言っているように,選挙戦に立候補するような連中は,1. まともな知性を持っていない阿呆であるor 2. 悪事をなそうとしている(すでに悪事をなしていて,さらにそのうまみを吸い尽くそうとしている)のいずれかである.どっちにしても,立候補している連中は胡散臭いのである,ということを前提にして投票しなくてはならない(あるいは投票を棄権しなくてはならない).実際問題として,現在のような社会制度(選挙をして代表を決めて〜的な)が,本当に望ましいものなのかどうか塾長は強い疑問を持っている.他にマシな社会制度が考えられるのかと言われるとよくわからん.為政者の役割が,社会を潤滑に回すことにあるとするならば,十分にAIが信頼できるようになれば,ややこしい政策判断はAIに任せればいいのではないかと思う.中身がわからずに使うのは不安であるが,そもそも社会の構造自体,我々はわかっていないわけで,少なくともさまざまなデータをすべて飲み込んで分析する能力があるとすればAIしかないだろう,という話.

選挙と言えば,Guardian 紙を読んでたら,来年の米国大統領選の記事があった.民主党共和党とも,一番に名前が上がるのはバイデンとトランプという,なんともどうしようもない連中で,これどうなのよって思う.アメリカなら優秀な連中はいくらでもいるわけで,それにも関わらず,優秀な連中が政治をやらないというのは,前に書いたようにそこにいる連中が阿呆か詐欺師ばかりで,まともな知性を持っている人々の職業の選択肢たり得ないということだろう.このことからも,政治屋という職業の胡散臭さがよくわかる.核ミサイルのボタンを押せるのがボケ老人とか,洒落にならん.老害という言葉は一般人に使うのは不適切であるが,少なくとも人類社会に悪影響を及ぼす可能性のある職業についているクソ連中には躊躇なく使って良い言葉だと思う.

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