宿題

最近どっかの新聞のネット記事で,「学校は宿題を出すべきか」的な問題提起がなされていた.児童生徒個々の能力や家庭環境によるので,この問題に対して一般的な解答を出すことは難しい.

欧米の国の中には,宿題を出すことを禁止しているところもあるという話を聞いたこともある.夏休みの宿題なしという話も.で,学校の中での勉強だけで完結させることが可能なのか(お受験がなかったとしても)というのが問題である.小学校の頃を思い出すと,低学年の頃はクラスのほぼ全員が普通にできていた(ような気がする.低学年の頃は学校のテストの成績を気にするような習慣がなかった).一つには担任の先生の能力が高かった(私は悪さをしてよく殴られてた.うちの両親は「教えるのが上手くても人間性がクソなやつはダメだ」的なことを言っていたが)というのがあり,もう一つにはその当時そろばん塾がものすごく流行していて,クラスの半分くらいが通っていたというのがある.小学校3,4年の頃には,筆算をしなくても頭の中だけで三桁の割り算が一瞬でできるようなのが何人かいたし,エア算盤で(算盤なしで指先を動かして)同じような計算ができるのも何人かいた.小学校の算数でつまづく可能性があるのはあのあたりくらいなので,その時点で大きな山は超えたことになる.漢字については,書取りをさせられた記憶がある.意味があるのかはわからんが,私自身は漢字を覚えるのに苦労をしたことはなく,友人たちを見ていても,少なくとも小学校の時は大きな問題を抱えているようには見えなかった.これらの結果が,宿題のおかげなのか,そもそもやってる内容が簡単だったからなのか,算盤塾の流行のおかげなのかはわからない.いずれにしても,何らかの形でドリル的なことをするのは,計算技術の習得や,基本事項の暗記には必要であるような気がする.欧米の一部の国で宿題禁止というのは,脳科学的に意味のあることなのか,とても気になる.ちなみに,家庭環境的には小学校の頃はクラス内格差がものすごく大きく,家の庭に滝があるようなお宅の子もいれば,1DKに母子で慎ましく住んでいるような家の子もいて,それらについて特に深く考えることもなくみんな一緒に遊んでいた.ひとことで言えばカオスだった.

中学校以降宿題が必要なのか,というのは小学校とは少し違う気がする.このあたりになってくると人によって能力や進み方がずいぶん違ってくる.全員に同じ宿題を一律に与えて,それを成績判定のネタにするのは意味がないと考えている.だからと言って,一人一人に合わせた宿題を出すことは先生方の労力を考えるとどう考えても不可能で,宿題を出すこと自体やめたほうがいいと考えるのが自然であろう.特に,学習塾などに通っていて,それぞれに合わせた宿題が出されているような場合は,学校の宿題は邪魔でしかない.学校の宿題は,ペーパー試験で落第点を取ってしまった生徒さん用の救済措置として出せばいいのではないか.

というわけで,小学校レベルまでは学校側である程度反復練習をさせたいのでドリルの宿題を出し,中学校レベル以降は自分らでどうにかしてください,というのがよいのではないか.そうなると,中学校レベル以降で自分のことを自分でやれるだけの脳味噌がなくてはならんわけで,小学校の先生の責任はめっちゃ大きいということになってしまうな.

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