続 男はつらいよ

Netflix のおすすめに寅さんシリーズがあって,寅さんが50本くらいあるというのを初めて知った.とりあえず,コンプリートしてみようと思い,ちょっと前から少しずつ見ている.

続・男はつらいよ,は二作目で,マドンナのお姉さんがチェロを持ってうろうろしていて(アマチュアなのか,プロなのかは作中ではわからん),この時代にチェロ弾いてるってどんだけお嬢さんやねんという感じだ.生き別れの母親を探しに京都に行くというシーンもあり,時代的にうちの父親が学生生活を送っていた頃の京都はあんな風だったのであるなあとしんみりとしてしまった.しょーもない話が続くのであるが,脳味噌空っぽにして昭和の雰囲気を味わうにはよろしい.

で,寅さんの英語の先生が,絶対どこかで見たことがあるのに誰かわからずずっとモヤモヤしていて,今朝ようやく思い出した.あの目元と歯の形は水戸黄門だ.何代目かわからんが,じいちゃんばあちゃんと一緒に見た水戸黄門だ.

寅さんは小さい子供の頃に母親に捨てられたという設定で,おっさんになってから母親を探しに行くのであるが,いまいちこの感覚がわからない.顔も覚えていない,教育を授けてくれたわけでもない生物学上の母親に一体なんの存在意義があろうか.作中でも「血を分けた親子」的な描写が多く,なんか釈然としない.ちょっと想像してみよう.塾長の生物学的な両親が別のどこかに存在していたとして,今の塾長(寅さんとそんなに年齢は変わらん)に何か影響があるだろうか.見ず知らずのおっちゃんおばちゃんが「わしらが塾長のホンマの親です」と名乗り出てきたとしても,塾長は間違いなくなんとも思わんぞ.もちろん,お小遣いくれるとかだったらもらうけど.「血を分けた」みたいな感覚は,多分に社会的な起源を持っているのではないかと塾長は思っている.家族が大切,血のつながりが大切,という価値観を社会全体が広めてきたから,そういう感覚を持つ人が存在するようになっているのではないか.

と考えていたら,今日のニュースで,不妊治療の一種で他人の子種を使う方法があり,それで生まれた子供が喪失感を持つ,みたいなのがあって,塾長はまた混乱してしまった.そのインタビューに出てた学生さんは医学部に通っていて,実習で自分の血液を調べてそれがわかった,ということらしいが,衣食住と教育が十分賄われていると推測される境遇において,自分の遺伝上の親が誰なのか,ということがそんなに重要なのであろうか.意味がわからん.

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