荷物
午前中は実家にある荷物の整理をしていた。我が妹はチャキチャキした性格で、彼女が不要と判断したものはいつの間にか廃棄されている可能性があると考えているからだ。本人曰く、押し入れから虫が出てからは、家のものの整理・廃棄をやる気がなくなったとのことなので、そんなに焦らなくても良かったのかもしれない。それでも名古屋に帰る機会は年に何回もあるわけじゃないし、少ない機会をできるだけ有効活用しよう、と思ったわけだ。
とりあえずは納戸にあった、両親の本や学生時代の専門書、それからアルバムの中から、捨てるには惜しいと思われるものをピックアップした。昔はアルバムをゴツい冊子の形で保存していて、現代のクラウド保存とはそもそも考え方というか意識が違うのがわかる。うちの両親が持ってるアルバムは、人間ばかりが写っていて、塾長のクラウドのアルバムとは一枚一枚の濃厚さが全然違う。分量が多いので、全てを保管することは不可能で、一部の写真をもらって、あとは同じ場所で発見されたネガフィルムを写真屋でデジタル化して保存するということになるだろう。驚いたのは、父方祖父の葬儀の写真が立派なアルバムとして残っていたこと。昔はこんな感じだったんだ。まだ中学校の学生服を着た塾長や、小学生の妹と並んで、若い頃の両親も写っていた。いやあ、懐かしい。
アルバムといえば、写真を撮るという趣味・習慣がなかったため、学生時代のアルバムがないのが残念だよなあと思っていたら、一冊だけ見つかった。おそらく、卒業時に数少ない写真をまとめてアルバムにしたのであろう。これまた懐かしい。
あとは、塾長の学生時代のノートや専門書の一部、楽譜なども発見れたので、これらは盛岡に送ることにした。盛岡の学校で働き始めた時、下宿のアパートが小さくて本が全部入らんからその分をとりあえず実家に送ったのだった。学生時代は、それらを下宿と研究室の本棚に分散させて保管していたので大丈夫だったのだ。そういえば何年か前に母上が、これらの専門書やノートを盛岡に持ってけと言ってたのを思い出した。
両親の日記もいくつか発掘されていて、これが大変面白い。父上の日記はどれも最初の数ページだけで、残りは白紙、かつ書いてあるところに関しても字が汚すぎて全く判読できない。母上の方は五年日記を律儀に書いていて、みんなで読みながら「ああ、そんなことあったなあ」と笑ったのであった。で、結構これは面白いとわかったので、塾長も盛岡に帰ったら五年日記を買って書き始めることにした。自分が死んだ後のことなんてどうでもいいが、家族がそれをネタに笑ってくれるならそれもありだろう。ちなみに、塾長は日記を全然書かないわけではなく、断続的な日記が学生時代から続いてはいる。ただ、正味で五年分くらいしか書き溜められていない。これからは日記をもっとちゃんとした習慣にしよう。

これは親父の学生時代の本。当時は卒業アルバムを京大経済学部でちゃんと作ってたようで、それも発見された。文集のようなものも発見された。大学の規模自体が我々の頃よりも小さかったのか、経済学部がそのようなアットホームな雰囲気だったのか、どちらなのだろう。わしが卒業した時に卒アルを作った記憶はない。

これは普通の文庫本。だいたい読んでるはずなんだけど、どうにも思い出せん。老後の楽しみにとっておこう。