チャイコフスキー
伊藤恵子「チャイコフスキー」読了
来年の演奏会でチャイコフスキーを演奏するため,ちょっとお勉強でもしようかと読んでみた.伝記なんてどれでも大して変わらんやろ,と思っていたが,これまで読んだ中でも超弩級の本かもしれない.
何がすごいかというと,文章のヘタクソさがこれまでに読んだどの本と比べてもダントツであること.本文は1行読むごとに突っ込まざるを得ないほどの悪文で(体言止めを1ページに何回も使うのはやめてください),すらすら読めたのは巻末にある年表と作品一覧だけ(読む,という行為ではない気がしなくもない).高校生か大学生がレポートを書くために資料集めをして,メモ書きして,それをそのまま書き写しました,て感じ.著者も酷いが,編集者も酷い.音楽之友社はまあまあ大手というか,ちゃんとした出版社であるという認識であったが,編集者は一体何をしてたんだ.もしかしたら200ページにわたってこの悪文原稿を読まされて,全部書き直してくださいと言う勇気がなかったのかもしれない.これなら,メモ書きを元にしてゴーストライターに全部書かせるか,日本語が普通にできる物書きとの共著にすべきだった.20年前の著書で8刷とかなら,この間に改訂版を出すとかできなかったのであろうか.ちなみに塾長は同じシリーズで「ドヴォルジャーク」「ブラームス」を持っているが,それらは普通に読めた.このシリーズ全体で校正がクソというわけではなさそうだ.
それで,同じくらい酷い日本語を別のところでも読んだことあるんだよなあ,と思って記憶を辿ってみた.吉田秀和氏も体言止めを多用するタイプの物書きだった.たまたまKindleに吉田秀和著「マーラー」があったので少し読んでみたが,普通に読めた.若干表現が気障かつ華美で鼻につくところはあるけど,ちゃんとした文章であった.彼ではない.気になる.
そしてとうとう今朝目覚めとともに思い出した.盛岡に来たばかりの20年ほど前に読んだ地方紙の社説とコラムによく似ているのだ.当時の盛岡の地方紙の社説は「てにをは」がおかしいだけでなく,中学生が学校で習ったばかりのちょっと洒落た表現を間違って使っちゃったみたいな,ものすごい酷い作文が毎日掲載されていた.表記だけでなく内容も支離滅裂で,一体この人たちは何を撒き散らかしているのだろうと愕然としたものだ.社説とかコラムを書く人々は会社的に偉い人ばかりだから,まともな日本語能力を持った若手が「表記が無茶苦茶で内容も無茶苦茶です」とか言えなかったのかもしれない.最近図書館でチラチラ眺めた感じだと,これらの地方紙の社説の表記はずいぶん改善されたようだ.書いてる人が代替わりしただけか.ちなみに内容に関しては全国紙でも地方紙でも読むに値するものはない.普通に考えて,毎日内容のあることを書けるほど中身の詰まった人間がいるはずがないわけで,どうしても芋と大根を混ぜてかさを増やした白米みたいなカスカスなものばかりが載ることになる.書ける内容について書けるときだけ書けばええのに.