ファスト&スロー
D.カーネマン「ファスト&スロー」読了
プリンストンの認知心理学者による,人間の意思決定プロセスについての解説書.以前にも似たような本を読んだことがあるような気がするけど,最近はこういうのが流行ってるんだろうか.
著者の研究によると,人間の意思決定には大雑把な比喩で言うと,脳内のシステム1とシステム2が関わっているらしい.システム1は自動制御システムで,システム2は合理的思考システムである.システム1の決定にはシステム2はアクセスできない.そして我々の生活のほとんど全ての決定はシステム1の自動制御によりなされているということだ.システム1は脳の高次機能としての論理的思考をするためのシステムではなく,我々の周りで起きていることを自動的に分類処理してなんとなくいい感じの解釈と物語を作ることを役割としている.また,システム2は怠け者で(本当は合理的判断をする能力があるはずなのに),システム1の作った不合理な解釈と物語を黙認してしまうことが結構多い.そのため,人間はしばしば不合理な行動をしてしまうのである,というのが前半のお話.これが本当に正しいのだとすると(自分のことを思い返しても,世の中の動きを見ていても,これが正しいことはほぼ確実であるような気がする),合理的経済主体みたいなものを前提としている経済学という学問は,土台から崩れ去ってしまうことになる.皮肉なことに,この著者はノーベル経済学賞を受賞している.非合理的経済主体を前提とした経済学が成立するのかどうか,よくわからん.
この本に書いてあるような,合理的思考ができなくて阿呆な間違いをする一般人のことは,おそらく詐欺師や企業家が一番よく知っている.阿呆な間違いをなくすことは人間の遺伝子に組み込まれた性質として除去することが困難なので,これからも詐欺師や企業家の人々はいい思いをし続けることになるのだろう.
最後の方で,ピークエンドの法則(原理?)的なことが書いてあって(これはシステム1の仕事なのだろう),それはなんかすごくそうだなあーと納得してしまった.ピークエンドというのは,我々の記憶に残りやすいものがどんなものかを表している.物語や人生のいくつかのピークと,物語や人生の最後が記憶に残りやすいというのがその意味である.合理的に判断するのであれば,人生の幸福度・充実度はその瞬間の幸福度・充実度を時間軸で積分したものであるべきなのに,幸福度・充実度の最大値と定義域の端の値で物語や人生を評価してしまいがちである,という話.確かに,めっちゃ面白いお話の最後が??だと,物語全体が萎んだ印象になってしまうし,どんなに光輝く人生を送っていても,最後は衰えて死んでしまってかわいそう,みたいな印象を持ちやすい.ここ数年で家族の死を見てきて思うんだが,棺桶に入っている姿は見窄らしくても,彼ら彼女らは十分人生を生き切ったわけで,最後の姿を不自然に強く記憶に残すのは合理的でないのに,なんかそういう感じにはならんのよ.偉人伝読んでても,最後は老いぼれて死ぬわけで,なんだか最後がしょぼい気持ちになる.システム1の力が強すぎる.