家訓
生徒さんがノートにギチギチ詰めた計算をしていたので「石原家の家訓は,ノートをケチるな,トイレットペーパーとティッシュペーパーはケチれ,です」と言ったら笑われた.
ただ,これは結構真面目な話で,中学校とかで数学のノートを綺麗に(綺麗といっても主観的な判断でしかない)書くように努めていた生徒さんたちは,高校に入ってからもこれまで通りの綺麗な,そして全く機能的でないノートを取ろうとして自滅する傾向がある.数学のノートは余白を多く取り,大きくて見易い図を描き,計算は(等号を)下にどんどん書き加えてゆくものだ.暗記系科目のノートは複数回見直す可能性があるのである程度コンパクトにまとまっていて見易い方が良いと思うが,理数系のノートでそれをやると,計算の見直しがしにくいし,でかい図を描くことの邪魔になる.もちろん,中学校レベルなら,計算は1行で終わることも多いだろうし,図を描かなくても答えが自明であることも多い.しかし,高校に入ってからいきなりそれまでの方法を変えるのは難しいらしく,中学校までにちまちましたノートをとっていた生徒さんが,高校から大胆に余白を使い図を描くようになったのはほとんど見たことがない.あと,計算を端折らないのも大事で,中学校まで数学が得意だった生徒さんはその感覚で計算を1行とか2行で終わらせようとしたがるが,高校レベルの計算ではそれが不可能なことが多い(もちろん,計算力の有無によっては他の子よりもノート消費量が少ない子もいる).面倒臭がらずに途中の計算を書き留めるのが正しい作法である.また,塾長の乏しい友人関係を思い返してみても,数学や理科が得意な友人知人で,大きな図を描かない,計算にたっぷりノートを使わない,という人々は見たことがない.これが因果関係なのかはわからんが,少なくとも相関関係はあるような気がしている.
ちなみに,私の父親は基本的に私の勉強に興味関心がなく,勉強をしろと言われたことは一度もないのであるが(そして,私はそれを悪用し,興味のある科目を興味のある時にしか勉強してこなかった),ごく稀に気が向いた時に一言二言私に注意を与えることがあり,「ノートをケチるな,トイレットペーパーとティシュペーパーはケチれ」はその中の一つである.もちろんそのような家訓に必ずしも従うわけではなく,私はノートをケチらずにガンガン使うだけでなく,トイレットペーパーとティッシュペーパーもガンガン使っていた.