国公立150万

慶應義塾の塾長が,国公立の授業料を年間150万程度にしろとか言ったらしい.なんで民間の営利団体のトップが,公営の非営利団体の収入について発言する機会と権限を与えられたのかが全くわからない.波紋を呼ぶ,などという穏やかな言い回しをするのではなく,はっきりと踏み潰して委員だか理事だかの身分を剥奪し,身柄を拘束すべきだろう.アホクソの有馬元東大総長もそうだが,このアホクソ慶應義塾塾長も文科省に都合の良い思想の持ち主であったために発言の機会を与えられた可能性が高い.

国公立の学校は財布を文科省と財務省に握られている.学問の自治などという大袈裟なことを言いたいわけではないが,財布を握っている連中に権限が集中しすぎるのは非常にまずい.そういった連中は基本的に自分のやっている仕事の内容を全くわかっていないからだ.大学で行われているような基礎教育や基礎研究においては,期限を切って物事を進めたり,極度に競争的な環境であることが必ずしも生産性向上に寄与しない.そもそも,学問というものが,生産性という概念が当てはまらない活動であるという認識が,政治屋にも役人にも決定的に欠けている.自分たちがやっているような仕事の延長線上にある仕事ではないのだ.最前線で果敢に戦っている人々を,安全な後方基地で酒飲んでる無能な連中が縛るとか,あり得んでしょ.

難しいのは,予算削られて文句を言うのがほぼ大学関係者だけだということで,物事を知らん人から見たら「給料減らされて文句言ってるサラリーマンがおるで」くらいの感覚でしかないってこと.目に見えない,一年後じゃなくて百年後を目指しての(まあ,百年後に日本があるかどうか,いや,近代国家という概念が存在するかどうかはわからんけど)活動なのである,それこそが日本を永く繁栄させるための最後の希望なのだ,という認識がない人々には何を言っても変わらん.メディア連中も,大学のことなんて「単位取るのが楽だった・しんどかった」くらいの記憶しかなくて,あのような贅沢かつ人類史において唯一と言っていいほど毎年のように少しずつ進歩している世界につながる場所としての大学の意義に思いを馳せることはないのだろう.希望が見えない.

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