FOUNDATION
半年くらい前からApple Music に課金しててiCloud も使用していることから,Apple One という抱き合わせサブスクにしている.これはApple Music とiCloud とApple TV とGame が全部混ざったやつで,塾長自身はTVとGame はほぼ使っていない.こういうのって独禁法違反になったりしないのかなあ.で,こないだたまたまTVのアプリを開いたら,Apple オリジナルのシリーズで"FOUNDATION"が出てたので,試しに見てみたと.FOUNDATIONは言わずと知れた,アシモフ原作のSF超大作で,塾長も一年ほど前に三部作全てを読了して大変満足した.金持ち企業Apple様が,最新の映像技術を用いてあの世界を描いたらどうなるのかと期待して視聴を始めたのであるが,なんだろう,あれは.映像も音響も本当に素晴らしい,稀に見るクソ映画に仕上がっていた.FOUNDATIONの要素がどこにもない.タイトルだけFOUNDATIONで,中身は別物だ.その中身もスッカスカのゴミでびっくり.例えるなら,立派なクリスマスケーキを買ったつもりでごっついリボンかけたでかい箱を持って家に帰って,箱を開けたら,中にはコンビニのショートケーキがいくつか倒れて潰れた状態で入ってたみたいな.
FOUNDATIONの中では,個人というものはほとんどなんの意味もない,記号としての役割しか与えられていない.フルネームが与えられている人物ですら,その人物が代表するグループの同値類であり,人格に重きが置かれているわけではない.このお話のキモは,人類史を,徹底的に人類全体をモブとして統計的・数学的に扱うという設定にあるのであり,その中の登場人物の個人的問題には全く重点が置かれていない(描かれていないわけではない).それなのに,このクソ映画では,延々と個人的な話が続き,そもそも話の筋すらもめちゃくちゃに改変されてしまっていて,もはやなんの話なのかがわからない.
これは,FOUNDATIONの威を借るなんとやらで,有名なSF古典タイトルにしておけば,みてもらえるんじゃね,的なクソ企画であるということなのであろう.アシモフは何十年も前に死んでるから,文句を言われることもあるまいて.
そういえば,最近漫画の実写化で原作者が亡くなったというニュースをよく見るが,それも構造としてはこのクソ映画と同じようなものなのかもしれない.FOUNDATION自体は地味な話なので,そのままでは映画化しにくいというのはあろう.ならするな.原作と映像では表現方法が違う,というのも当然だ.でも,原作者が違う,というのであればそれは誰がなんと言おうとクソである.というか,なんで原作のある話を映画化・実写化・アニメ化しようとするんだ.自分らで最初から世界をつくろうとは思わんのか.