義務感
生徒さんと話していて「〜ができるようにならなくてはなりません」「〜をやったほうがいいでしょう」という言い方をすることがよくある.こういう物言いが有効ではなく,むしろ無意味であるということはなんとなく自覚するようになってきた.他人を観察したり,自分自身のことを振り返ってみると,義務感を主たる原動力として行動できる人間は,鋼鉄の意志を持つごく少数の尊敬すべき変態だけである.それでは,塾長を含む尊敬に値しない凡人はどうすればいいのであろうか.一番いいのは,なすべき対象を好きになることで,次善の策としてはなすべきことをなすことが呼吸のような当たり前の行動になるように訓練することであろう.自分の好きな科目の勉強や楽器の練習であれば前者の条件が満たされるが,興味がそれほどなく,直接的なご利益もない科目の場合はどうにかして後者の条件を満たせるようにしたい.しかし,好きでもない科目の勉強が当たり前の行動になるような条件付けなどありうるのだろうか.塾長にはわからない.
実は塾長自身は,特に好きでもないことをコツコツ続けることが苦にならない性格で,毎朝時間を決めて瞑想し,毎日チェロの練習は音階や練習曲をルーチンにし,大体毎日ちょっとだけ体を動かし,毎日一定以上の分量の日本語と英語を読み,というルーチンを繰り返している.これらは塾長にとってやって当たり前の作業になっている.受験生であれば,これらのどれかを苦手科目の勉強に充てるだけのような気もするのであるが,それは何か難しいことなのだろうか.