それから

夏目漱石「それから」読了

主人公の代助くんは,30にもなって親の脛齧りをしている大変高いご身分の高等遊民でらっしゃる.あるとき,人妻にちょっかいをかけたことがバレて父親から勘当されてしまう.ちなみに,このちょっかいをかけた人妻というのが,自分が友人に結婚を斡旋した女だというのがものすごくクズで,ものすごく良い.代助くんの計算違いは,高等遊民であるためには資金が必要であるのに,その資金源が代助くんとは価値観が全く異なるお父上であり,そのせいで高等遊民を自認しながら,真の意味で遊民(自由人)たりえないという,その矛盾にあるのだ.

国民性なのか,時代のせいなのか,夏目漱石自身の性格によるものか,どう考えても喜劇としか思えない内容を,なんだか重たく扱っている.イタリア人が書いたら多分「フィガロ」みたいな感じの笑劇になってると思う.もちろん,このような内容を,夏目漱石のように暗く描くのもありだとは思うが,もっと軽快に笑える話にしてくれる著者もいていいんではないか.

以下引用.

何故なぜはたらかないつて、そりや僕がわるいんぢやない。つまりなかわるいのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だからはたらかないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏ぶるひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時いつになつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、そればかりが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行おくゆきけづつて、一等国丈の間口まぐちつちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨ひさんなものだ。うしと競争をするかへると同じ事で、もう君、はらけるよ。其影響はみんな我々個人のうへに反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、あたまに余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日こんにちの、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊こんぱいと、身体の衰弱とは不幸にしてともなつてゐる。のみならず、道徳の敗退はいたいも一所にてゐる。日本国中何所どこを見渡したつて、かゞやいてる断面だんめんは一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其あひだに立つて僕一人ひとりが、何と云つたつて、何をたつて、仕様がないさ。僕は元来なまけものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分からなまけものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなればる事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ちつ丈の刺激も亦いくらでも出来てるだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂ありの儘の世界を、有の儘で受取つて、其うち僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んでほかの人を、此方こつちの考へ通りにするなんて、到底出来できた話ぢやありやしないもの――」

素晴らしい.

「 代助はむかしひとが、頭脳づのうの不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、みづからはかたひとためと信じて、いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りにうごかし得たのをうらやましく思つた。自分のあたまが、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕ゆふべの会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼はひとから、ことに自分のちゝから、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。かれの解剖によると、事実はうであつた。人間にんげんは熱誠を以てあたつて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠をてらつて、己れを高くする山師やましに過ぎない。」

プー太郎は暇なので,色々いらんことを考える.塾長も暇なので,プー助氏の考えることはよくわかる.

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