科学と方法

ポアンカレ「科学と方法」読了

ポアンカレは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した,人類を代表する数学者(と物理学者)である.トポロジーやカオスなどの創始者の一人であり,特殊相対論まであと一歩まで迫った(そして,アインシュタインがいなければおそらく特殊相対論を作ったのはポアンカレであったろう)ことで知られている.彼の名を冠した定理や予想などもあり,中高生でも,理数系の話に興味があれば名前くらいは聞いたことがあるかもしれない.ちなみに,兄弟だったかいとこだったか忘れたが,フランス大統領だか首相になっている.名門やね.

そのポアンカレ氏が,一般向けに当時の科学や数学について論じたのが「科学と仮説」「科学と方法」「科学と価値」三部作および,「晩年の思想」である.ただ,本書の内容を考えると,これが一般向けというのはちょっと理解し難いものがある.本書で論じられていることは,数学の基礎に関する論争に対する彼自身の立場の表明,およびいまだ混乱していた状態における電子論(まだ相対論が完成していない)と原子論(まだ量子論は少し顔を覗かせただけ)についての解説である.前者に関していえば,ラッセルやヒルベルトといったこれもまた世紀を代表するような数学者が数学の基礎について書いた論文に対して,ポアンカレが論評する形になっているが,何言ってんのかよくわからんというのが正直なところだ.時代的には,集合論のパラドックスが出てきて,数学の基礎が危ういと考えたヒルベルトが,数学の無矛盾性を(というか,数学が安全であることを)示そうとし始めた頃で,議論がまとまっていないし,論点もよくわからん.後者については,「正しい」相対論と量子論が完成される前の混乱した状況が述べられていて,こちらはある程度内容を知っているというのもあって興味深く読めた.ちなみに,かなづかいは旧仮名遣い.所謂明治文語文というやつだ.塾長が受験生だった頃は,京大の国語に文語文が出て,なんか好きだった.

で,この本が一般向けというのは,いくらなんでも当時のフランス国民は過大評価され過ぎていたんではないかと思わんでもない.多分,全国民の1%未満しか内容を半分理解することすら不可能であっただろう.当時のフランスでは,このレベルの人がこのレベルの本を一般向けに書いていたわけだ.現代日本では,聞くに値しないことしか喋らない「有識者」なるものが,ゴミを撒き散らかし,素人は素人で別のゴミを撒き散らかしている.エリート主義が良いとは言わぬが,少なくとも表に出る人の人選はちゃんとすべきだと思う.誰が人選をする資格をもつねんという,根本的問題は残るが.

以下,引用.

「たゞ目下の應用ばかりを目當にはたらいた者は、後に残すものとては何ものもなく、あたらしい必要に面しては、すべてをはじめから遣りなおさなければならなくなるであろう。世人の多くは思考することを好まない。(中略)よって思考を好まぬ人々のかわりに思考する必要が生ずる。しかも、かゝる人々の數多いのを見れば、吾々の思考の一つ一つはでき得る限り多くの場合に役立つものでなければならない。法則が普遍的であればあるほど貴重である所以は、實にこゝに存する。」

教育行政に関わるクソどもが,こういうことを考えたことないだろうということは容易に予想がつく.ポアンカレを読めとは言わぬが,せめてもう少し頭のいい奴にやらせろよって思う.

「數學とは、異なった事柄に同一の名稱を與える技術であると、わたくしは何處に於てかすでに語ったかのように思う。」

「吾々と同時代の人のために一時間勞を省いてやるよりも、吾々の孫に一日の勞を省いてやる方をさらに大きな幸福と感ずることがときにあるのである。」

「わたくしは全體として吾が國の數學教育はよいことを知っている.わたくしはそれが覆されることを望むものではない.かくなればむしろわたくしは悲しむであろう.わたくしの望むのは徐々の進歩的改良のみである.敎育をして一時的流行の氣まぐれな突風による突發的な振動を受けしめてはならない.かゝる暴風のなかにあっては,その高い敎育的價値はたちまち沈下してしまうであろう.」

ほんとにこれ.数年ごとに意味不明な学習指導要領の変更をするのをやめてほしい.

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