クイーンズ・ギャンビット

Netflixで「クイーンズギャンビット」というドラマシリーズを見た.子供の頃に親を亡くして孤児になった女の子が,チェスの才能を開花させて成り上がっていくという,お花畑的な御伽噺である.舞台は1960年代で,まだソ連があって,ソ連のグランドマスターが最高峰みたいな世界観.いや,それはいまでもそんな感じなのか.塾長の学生時代にはカスパロフという強いのがロシアにいて,コンピュータに勝ったとか負けたとかニュースになっていた気がする.

主人公の女の子は客観的に見て結構不幸な生い立ちだ.不幸な生い立ちということだと,将棋漫画の「3月のライオン」もそうだな.サクセスストーリーは主人公が最初のうちは不遇でないと成り立たないのだろうか.確かに,藤井聡太五冠とかだと,少なくとも傍目にはすごくまともそうな家族に囲まれていて,家族面において不必要な逆境はないように見える.それだと将棋飯くらいしか話題にできず,小説や映画にはなりにくいかもしれん.

そういえば,海外映画や海外ドラマを見ていると,昼間の室内が暗いのが気になる.電気つけてないねん.塾長は昼間でも煌々と明かりをつけているので,薄暗い室内というのがなんか落ち着かん.あの人らは黒目の色が薄いから光が網膜に通りやすいとか聞いたことがあるけど,それが理由なんだろうか.というか,日本の他所のお宅も実は石原学舎とは違って昼間の室内は薄暗いのかもしれない.

主人公の子は,孤児院の途中までは子役で,その後は大人の人が演じていた.子役は子供に見えるけど,大人役の人が中学生とか高校生とかを演じるのは厳しい.どこからどう見ても,養母役の人と同じくらいの年齢にしか見えない.特殊メイクとかCGとかでも年齢を誤魔化すようなことはできんのだろうか.

AmazonプライムでもNetflixでも,塾長は日本の実写映画や実写ドラマは見ない.大根と上手な人が画面の中に共存していると,写真の中に漫画が埋まっているように見えてしまうのだ.主人公が漫画の人であると全編見るに堪えないし,そもそも一つのお話の中でその世界の住人と認識できるレベルの人は一人か二人しかいない.要するに,どれもこれも見るに堪えない.それが,外人さんがやっている場合は(子役は別にして),セリフが下手なのか上手いのかがわからんから大根がいたとしても気にならない.話が雑なところだけが気になる.

その点,アニメは画面が絵であることと,声優さんは声だけに特化しているので,実写に比べるとずっと良い.ただ,アニメ映画だと何故か大根が声優みたいなことをしていて見る気がなくなる.客を呼ぶためには有名人を入れる必要があるのかもしれんけど,はっきり言ってかなり邪魔だから,最初の半年くらいはその有名な人々でいいから,それ以後放送したり配信したりするバージョンではちゃんとしたプロの声優を使ってほしいわ.声を別にあてることができるメディアなんだから,そのくらいやってくださいな.

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