しばいた/新型ウォークマン

アカデミー賞でウィル・スミスが司会をしばいたというニュースが流れてる.家族を侮辱されて手が出たということらしい.家族や友人を侮辱された時の反応は色々あるだろうが,笑って流す,ムカっとするが放置する,冷静に相手を非難する,罵倒する,しばく,裏から手を回して相手の仕事を邪魔する,などが考えられる.これらはどれもいい悪いではなく,侮辱されたと感じた側の性格や立場による反応である.これらに対して道徳的判断を加え,それが正しいと主張する意味がわからない.

こういうのを見ていると「多様性」といいながら,結局自分の「正義」「善」なるものを絶対的に正しいと信じ,他人の「正義」「善」には関心がないという意味の排他的「多様性」が幅を利かせているように見える.「多様性」というのは,他者が自分とは全然違うということを認めた上での,ある種の寛容性だと塾長は思っていたのだが,世の中の大半はそうは考えていないらしい.もう少し言うと,そもそも「正義」とか「善」のような価値判断こそが,多様性を阻害する要因であり,それに対する宗教的盲目が無駄な争いの元であったということに我々はもっと自覚的であるべきなのではないか.塾長には昨今の「環境」「LGBT」「差別を無くそう」的な運動の根底に宗教的盲目があるように思えて仕方がない.

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新型ウォークマンが16万とか40万とかで,なんかすごく高い.塾長が子供の頃はカセットテープを使うタイプのウォークマンが全盛期で(年がバレるべ),貧乏な塾長はウォークマンとイヤホンで音楽聴いてる友達を羨ましく眺めていたものだ.その後は,iPodとかを買ったが,そもそも良い音で音楽を聴かなくてはならないという感覚はなかったので,高価な機械を見ても「所詮箱庭的な音が出るだけやのに阿呆やで.プロの演奏会に行ってみなはれ」と思うばかりだった.

で,その新型高級ウォークマンについての動画を見てたら,おすすめに出てきたのが我がiMacのレビューで,その中でiMacのスピーカーの音が良い,と言ってるのがあった.うちのiMacは買った当初からアンプに繋いでいて,そういえばパソコン本体の音としては起動した時の「ドゥーン」しか聞いてなかった.ということで,本日初めてブラームスとか中世合唱曲などをiMacのスピーカーで聴いてみた.んが,これがまたひどいのなんの.普段聴いている,安物アンプ+貰い物スピーカーにも全く及ばないというか,比べるのもアホらしいくらい違う.こんなのを「音が良い」言っている連中が新型ウォークマンの音が良いと言っても信用ができんがな.なんだかなあ,盲人が盲人を導いているというか,こういうのは良くないよね.表に出てる人はもう少しちゃんとしてないとあかんよ.

でも,かっこいいから新型ウォークマンには興味がある.

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