国家はなぜ衰退するのか

D.アセモグル&J.A.ロビンソン「国家はなぜ衰退するのか」読了

タイトル通り,国家が繁栄するための条件についての本.著者らは持続的な成長の条件として,包括的政治制度と包括的経済制度を挙げ,それと対比して収奪的政治制度と収奪的経済制度を置いている.他の論者たちが国家の繁栄を地理的な条件や民族性などに帰しているのに対し,本著者らのポイントは国家制度にある.単純に包括的=民主的,収奪的=独裁or寡頭制というわけでもないようだが,既存の国家はほぼこの図式に当てはまるように見える.著者が包括的制度側の人間だからそちらにバイアスがかかっているのか,もっとちゃんとした根拠があるのか,歴史的な知識がない塾長には判断ができない.ただ,自分は包括的制度側にいられたらええなあとは思っている.中露やアフリカなんか生きてるだけで地獄やろ.夜に安心して眠ることができて,為政者の悪口を言っても殺されないのは大事なことよ.

著者らによると包括的制度のもとで成長が持続するのは,創造的破壊(既得権を持った者が力を失う)が起きうることや投資・イノベーションへのインセンティブがあるかららしい.確かに,真面目に働いたところでクソみたいな人生しかないのであれば労働意欲はなくなるわな.そう考えてみると,日本の停滞が,日本の収奪国家化によるものであるのではないかと考えることもできる.テレビ局や新聞社は相変わらず偉そうにしてるし(今後30年で確実に潰れるのに),安い給料やバイト代で人々を働かせている収奪的な社長さんたちは(特に中小企業で)いっぱいいるみたいだし.うん,成長が持続する条件はよくわからんけど,停滞する条件という観点からいうと,日本はいい例になってるかも.

この話は別に国家に限ったことではなく,会社などの組織についても言えるかもしれない.社内で一部のエリートだけが力を持つのではなく,イノベーションへのインセンティブがあるような会社は伸びそうだし(ベンチャーとか,昔のホンダ,ソニーとかそんな感じなんだろうと想像している).国を超えた大きな枠組みで考えると,国連がうまくいっていないのは一部の国だけが発言権を持っている(収奪的)からなのかもしれない.

本書における日本の記述はほとんどなく(明治維新がちょっとだけ書かれている),しかも事実誤認ぽいところもあるので,本書に書いてある他国の歴史的事実(?)がどのくらい説得力のあるものなのかはわからない.まあ,もっともらしいことも書いてあるね,て感じ.

左端は昨日届いたハヤカワサイズのブックカバー.オイルたっぷりで,手がベトベトなんですけど.

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